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ベトナムのおもちゃとキャラクターエンタテインメントの歴史

9月29日
読了時間: 14分

更新日:10月4日

ベトナムのおもちゃとキャラクターエンタテインメントの歴史
ベトナムのおもちゃとキャラクターエンタテインメントの歴史

はじめに


私たちが今日もベトナムでおもちゃやキャラクター商品を販売できているのは、先人の皆様の努力のたまものです。私は2006年にベトナムを訪問して以来20年に渡り、この国のおもちゃ、キャラクター市場を見てきましたが、そもそもその10年以上前から、苦労を重ねて流通を整備し、ベトナムの子どもたちに楽しいだけでなく、安心・安全な商品を届けてきた方がいます。私が書かなければ誰もわからないと思うので、一度、ここでまとめてみたいと思います。


まずはベトナムの現代史から。


ベトナムの現代史とおもちゃ、キャラクター


1975年、ベトナム社会主義共和国は、フランス・アメリカとの紛争を経て南北に分かれていた国が統一されました。以降、ベトナムは全土が「計画経済・配給制」という社会主義体制になります。当時の東西冷戦下においては、「東側」の国に位置付けられます。


1978年にベトナムがポル・ポト政権打倒のためカンボジアへ軍事介入したことをきっかけに、アメリカの経済制裁や、日本の援助停止などがあり、西側の欧米諸国や日本との関係は、かなり冷え込みます。


その後、ベトナムは1986年のドイモイ(刷新)政策を採用。社会主義を維持しながら、市場経済を導入する方向に舵を切ります。


転機は1994年のアメリカによる経済制裁の解除です。これにより、西側諸国はベトナムとの経済関係を回復し、多くの日本企業がベトナムに進出する「第一次ベトナムブーム」が起きます。


ベトナムに最初のドラえもんの海賊版が登場したのは1992年と言われており、日本の文化が海賊版の形で入り始めたのは、まさにこの頃です。


実はこうした歴史的背景からベトナムにおける日本や欧米キャラクターIPの認知は、近隣のASEAN諸国とも異なっています。このことだけでもコラムにできるくらい、大きな差です。


安田さんとAN DIEN CO., LTD.


この時期に単身ベトナムに渡りおもちゃのビジネスを始めたのが、安田庄一さんです。

ホンダのカブに乗ってチョロン(華人街)に行って、おもちゃなどを仕入れていたと言います。


1996年にAn Dien Co., Ltd.を設立、トミー(現タカラトミー)に直談判して、トミカやプラレール、リカちゃんなどの商品の取り扱いを始めます。


2003年ごろからバンダイとの取り引きを開始して、ガンプラや戦隊ヒーローの商品を販売します。


安田さんは、2005年にベトナムに進出したマレーシア系百貨店「Parkson(パークソン)」に直営店を出していました。当時としては唯一の近代的な小売店で、外国製の良いものを買えるのは限られていたので、お金持ちはここで買い物をしていました。


※Parkson Vietnamは最盛期には10店舗以上あったが、2023年に破産


私が初めてベトナムを訪問したのが2006年。

当時、ホーチミン市内で日本のおもちゃが売られていたのは、このParkson(Dong Khoi)か、ファハサ書店(Fahasa Nguyen Hue)、Diamond Plaza、Hung Vuong Plaza。


他にも小売店はありましたが、国営のTax百貨店(といっても観光客向けのお土産物屋さんがほとんど。2014年閉店、2016年解体)、空港近くのSuperBoul(2019年閉店、解体)、Maximart(現Vincom Plaza)娯楽の少なかったホーチミン市においては、私も良く行きました。


Tax百貨店で開催されたバービーのPOP-UP(2007年、筆者撮影)
Tax百貨店で開催されたバービーのPOP-UP(2007年、筆者撮影)

ベトナムの流通史も見てきましたが、2010年のVincom Center Đồng KhởiオープンからVincomの店舗が増えだし、2014年のイオンモールさん開業、2016年のホーチミン高島屋さんの開業で、近代小売りの戦いが激化。流通も新しいステージに入ります。


安田さんはこうした近代的な百貨店に店舗を出していました。最盛期にはベトナム全土で30店舗はあったかと思います。


安田さんのお店 @AEON MALL Tan Phu(2014年、筆者撮影)
安田さんのお店 @AEON MALL Tan Phu(2014年、筆者撮影)

私が安田さんに最初にお会いしたのは、たぶん2008年くらい。

業界の共通の知人を通じて、噂では知っていましたが、私がちょうど地場のテレビ局とドラえもんなどのキャラクターライセンス事業を立ち上げる中で、古巣の会社で発売する「爆丸(ばくがん)」という商品をベトナムに導入しようと動いていた時だったと思います。


私が立ち上げたアニメライセンス組織が、アニメの放映権をトムスエンタテインメントさんから購入してホーチミンテレビ(HTV3)で放送、関連商品を安田さんに販売していただくというシンプルなスキームです。


安田さんは本当に気さくな方で、何より90年代からホーチミンで事業をしているという、パワフルでユニークな方。本当にいろんなことを教えていただきました。


爆丸も良く売れたと伺いました。


イベント(Comic Festival)にて爆丸ステージの準備をする安田さん(2010年、筆者撮影)
イベント(Comic Festival)にて爆丸ステージの準備をする安田さん(2010年、筆者撮影)

当時のメディア状況も独特で、またネット配信がない時代においては、地上波&ケーブルのHTV3、ケーブルのみのSCTV3、Bibi(VTVcab)チャンネルがメイン。あとは海外のカートゥーンネットワークとかディズニーが吹き替えなしかせいぜい字幕でやっていた程度。


なので、メディアとキャラクターMDが機能しました。


ただ、雑誌は日本と違ってほとんどなく、Nhi Đồng(ニードン;児童)という雑誌が強かったのを覚えています。ニードンは国営の雑誌で、日本でいうと昔の「学研の学習」のような教育メインの娯楽冊子(16ページくらい)だったので、キャラクターとのメディアミックスとかは理解もされず、何もできませんでした。


さて、私は安田さんと2009年の爆丸から接点ができ、間接的にお仕事もさせていただくようになりましたが、ここから波乱の時代に入ります。


第二次ベトナム投資ブームと市場の変化の嵐


2005年日越投資協定の締結、2007年ベトナムWTO加盟と進むと、1997年のアジア通貨危機で落ち込んでいたベトナム投資ブームが再燃します。

私はまさにそのブームに乗ってベトナムに来たわけですが、市場環境やプレイヤーの変化の渦にみんなが巻き込まれていきます。


日本のメーカーや版元さんたちのベトナムへの期待は高まる一方、市場(流通)はまだ整備されておらず、所得は低い。

輸入玩具はまだ一部の人だけのもので、一般のキャラクター市場では正規品はほとんどなく、消費者であるはずの若者は、金持ちは登場したばかりのスマホを買ったり、庶民はオンラインゲームにお金を使う程度。


メーカーからの期待を背負った安田さんは、いろいろ大変だったと思います。

個人商店からチェーンストアへの変化のプレッシャー、キャラクター商品の導入などのリスクを背負い、まだ脆弱な市場に商品を流していかなくてはならないのです。


当時、欧米系のメーカーの流通はどうだったかというと、マテル(Mattel)はPhuong Nga(屋号Funnyland)さん、ハスブロ(Hasbro)はTu Cauさん、レゴはViet Tinh Anh(屋号My Kingdom)さんが扱っていました。


欧米のメーカーの商品の市場はもっと小さく、もっとリスクが大きかったと思います。Phuong Ngaさんについては、子どもとおもちゃが好きな穏やかな女性が社長を務めていて、やはり好きが高じて事業を始めたような方で、見よう見まねで四苦八苦していました。


2011年に私たちが初めてサンリオさんから許諾を得て、「ジュエルペット」のケーブルテレビ放送を仕掛け、セガトイズ(現セガフェイブ)さんから発売されていた商品は、弊社を通じてPhuong Ngaさんに買っていただきました。当時のベトナムとしては画期的なメディアとキャラクターマーチャンダイジング(キャラクターMD)の連動を意図しました。


当時はPhung Ngaさんも次のステージに行こうとして、業界経験のあるマレーシア人をManaging Directorとして雇っていましたので、キャラクターMDをやろうとしていた私の意図をきちんと理解してくれました。


が、結果として私たちの営業管理の不備もあり、代金の一部を支払っていただけないという事態に陥りました。


債権回収の話をしていた矢先に、マレージア人のManaging Directorが辞めたり、最終的には会社を今のFunnylandの運営会社のGolden Kidsさんに売却されました。結局私たちの売掛金は回収できませんでした。


また、マテルやハスブロの販売権は、レゴで堅実な経営をしていたViet Tinh Anhさんに移ったりもしました。


みんながもがいていた時代です。


Phuong Nga本社(Funnyland)※当時(Google Mapから)
Phuong Nga本社(Funnyland)※当時(Google Mapから)
Funnylandでのジュエルペットコーナー(2011年12月、筆者撮影)
Funnylandでのジュエルペットコーナー(2011年12月、筆者撮影)


ベトナム玩具業界の再編(第一幕)


そのころ、安田さんが衝撃的な決断をします。

会社を義理の弟さん(ベトナム人)に譲渡するというのです。


安田さんはベトナム人の奥様、二人の息子さんとともに日本へ。

小学校に上がるお子さんを日本で育てたいとのことでした。


義理の弟さんは、まったくの玩具業界未経験。

取引先一同が固唾をのむ中、新体制が始まりました。


ベトナムの市場を次のステージに上げていくにはどうしたらよいか?

外部からの大きな期待と、脆弱な市場。

そのジレンマの中で、私たちは引き続き、メディアミックスとキャラクターMDの連動を志向していきます。


2013年には、私たちはタカラトミーさんと協議をして、当時、きかんしゃトーマスの後継として力を入れていた「チャギントン」の事業化を進めました。イギリスの版元さんと契約し、アニメ放送をはじめたほか、私たちを通じてタカラトミーさんのチャギントン商品(プラレール)を、ベトナムに私たちが流通させる計画です。


また、バンダイさんとは、当時日本で大ヒットしていた「ダンボール戦記」のベトナムでの事業化を協議していました。これもダンボール戦記のアニメ放送と商品(プラモデル)の流通という日本発のメディアとキャラクターMDの連動です。


両社とも、すでにAn Dienさんと取り引きをしていました。ただ、日本のお家芸であるメディアとキャラクターMDの展開は、玩具のディストリビューターにとってはコントロールの難しい分野であり、ある程度のリスク投資が必要な難しいものです。


そこで、それぞれ、既存の商品ラインとは異なる新しいIP、新しい商品で私たちにチャンスをくれたのです。


結果は、鉄道のないベトナムでは鉄道の玩具はポピュラーではなく、アニメ放送をもってしても子供たちの心を動かすことはできず、チャギントンは1クールで終了してしまいました。


ダンボール戦記は、バンダイさんの協力も得て店頭価格を抑えたり、流通戦略を変えて当時店舗数を増やしていたMy Kingdomさんで販売した結果、大成功を納めます。


1勝1敗ですが、この取り組みによって私たちのキャラMDへの理解、メディアへの理解、市場理解に一定の評価をいただき、のちにタカラトミーさんとはポケモン商品の取り扱いと株式会社ポケモンさんとの代理店契約へとつながったほか、バンダイさんとはガンプラ(ガンダムのプラモデル)の取り扱いへとつながります。


2015年に義理の弟さんが引き継いだAn Dienさんの事業のうち、バンダイさんのガンプラを弊社が継承していくことになりました。また、タカラトミーさんのトミカやリカちゃんなどの定番商品については、Funnyland(Golden Kids)さんへと継承されます。


義弟が引き継いだAn Dienさんは経営が安定せず、見かねた安田さんが一時期戻ってきたりしていましたが、最終的には在庫処分や閉店処理などの残務をきれいに整理され、日本に戻って行かれました。


当時、私たちは店舗を持っていなかったので、メディア(アニメ)が関連しない商品群は、店舗を持つFunnlylandさんへとなったのです。同様の理由から、エポック社さんのシルバニアファミリーもFunnlylandさんで販売することになりました。マテル、ハスブロの代理店が、レゴの代理店であるViet Tinh Anhさんに移ったりと業界の勢力図が大きく変わりました。


2016年には、ベトナム玩具業界再編の第一幕が終わりました。


流通業界も勢力図が大きく塗り替わり、Parkson一強から、Vincom Retailさんの急拡大、AEON MALLさん、高島屋さんの成功、コンビニ、ミニスーパーの急拡大(Vinmart、Circle K、ファミリーマート、ミニストップ)へと変わります。


ダンボール戦記のイベント @Crescent Mall(2015年1月、筆者撮影)
ダンボール戦記のイベント @Crescent Mall(2015年1月、筆者撮影)

渡辺さんとKids Kingdom


ベトナムの玩具業界史の中で、触れておかなければならないのは、Kids Kingdomさんとオーナーの渡辺さんです。


私がAn Dienの安田さんとお仕事をさせていただいていた頃、事業拡大に伴い奥さんとの二人三脚では限界があると思い、日本の業界を知っている人がスタッフに必要だと思いました。そこで、私が日本の業界で働いていた頃、知己のあった渡辺さんをご紹介しました。


渡部さんはもともと、おもちゃメーカーの直販部門にいた方で、メーカーのことはもちろん分かるし、問屋(ディストリビューター)としての仕事もでき、チェーンストアのことも詳しいので、会社の成長には最適な人です。


ただ、最終的には渡辺さんはAn Dienさんをお辞めになり、ご自身でおもちゃの小売店を開きました。イオンモール1号店(2014年)に店舗を構えるとのことで、私もポケモン商品のコーナーの設置を協力したほか、イワヤさん、マルカさん、リーメントさんなど、低単価で定番を持つ日本のおもちゃメーカーさんと交渉して、渡辺さんのKids Kingdom向けの商品を確保したりしました。


イオンモール2号店のBinh Duong Canaryのオープンの際は、日本のメーカーさんやイオンリテイルさんの協力を得て、Kids Kingdomさんはハローキティコーナーとポケモンコーナーを設置するなど順調に事業を拡大されました。


とはいえ、まだまだ小さい市場ゆえ、安定しません。

一時は4~5店舗まで広げられましたが、2018年ごろには店舗をハノイに絞り、ご自身は拠点を日本に移されました。


Kid's Kingdom @AEON MALL Tan Phu(2014年、筆者撮影)
Kid's Kingdom @AEON MALL Tan Phu(2014年、筆者撮影)

NgocさんとViet Tinh Anh(My Kingdom)


やはりベトナムのおもちゃキャラクターマーケットを語るうえでは、Viet Tinh Anhさんと社長のNgocさんのことは外せません。

彼女はアメリカの大学で経営学(MBA)を学び、ベトナムに戻ってから投資ファンドで辣腕を振るいます。たぶんその時の投資先にPhuong Ngaさんがあったと思います。そのつながりから、Ngocさんはおもちゃの世界に飛び込んだようです。


もともとレゴは、Phuong Ngaさんが代理店でした。詳しいいきさつは分かりませんが、2009年にNgocさんがViet Tinh Anhを設立後、ほどなくしてレゴの販売権がViet Tinh Anhさんに移りました。


米国流の経営理論で、ベトナム市場を開拓し、その経営手腕は卓越したものがあります。少なくともレゴがベトナムでこれほどの人気とブランドを築いたのは、彼女と彼女の優秀なチームの力です。私も何度もお会いして、彼女の戦略を聞かせてもらいました。


私との出会いは、2013年ごろ。Viet Tinh Anhさんのおもちゃ屋さんであるMy Kingdomが店舗数を増やし、二けた後半くらいの店舗数だったころです。


バンダイさんとダンボール戦記の導入の計画を練っていた折に、勢いのあった彼女と仕事がしたいと思って、会いに行ったのが最初です。


世界のおもちゃメーカーはみんな横のつながりがあるし、お互いにどんなことをやっているかよく知っています。意外と狭い世界です。ただ、日本とアメリカのおもちゃメーカーの商習慣の違いは大きくて、日本は四半期ごとにビジネスを回すのに対して、アメリカは年単位です。このスタンスの差が、日本のメーカーの海外進出を阻んでいました。


それを分かっていたので、単発のダンボール戦記で一緒に成功例を作れれば、日本式も理解してもらえるかと思って、協業を始めます。


Ngocさんも日本のメーカーは無視できないプレイヤーだと思っていて、私たちのようにベトナムに拠点を置く企業が間に入ることで、うまくいくことを期待していたようでした。


ただ、ダンボール戦記の成功後も商習慣の溝は埋まらず、また、Ngocさんが第一線から退いたため、お互いにつかず離れず、時々商品を買ってもらったりしながら、今日まで来ています。


My Kingdom @SC VIVO City(2015年初頭、筆者撮影)
My Kingdom @SC VIVO City(2015年初頭、筆者撮影)
ダンボール戦記、My Kingdom @SC VIVO City(2015年初頭、筆者撮影)
ダンボール戦記、My Kingdom @SC VIVO City(2015年初頭、筆者撮影)

N KID(TiNiStoreとTiNiWORLD)


もう1社触れておかねばならない会社があります。2009年創業の子供向け遊戯施設の運営や知育玩具、絵本、子供服の販売を行う会社です。ベトナムにおける屋内時間制遊戯施設の需要を顕在化させたレジェンド「N KID」さん。TiNiWorld(ティニワールド)が有名です。


やはり創業者は金融出身のThomasさん。サポートするのは奥さんのMaiさん。この頃の新興企業は、私も含めて外国での事業経験のある人間が多かったです。やはり歴史的に、流通や娯楽産業を当時のベトナムの人が経営するのは厳しかったと思います。


何度かお会いしましたが、私たちがより年齢層の高いホビーマーケットに主軸を移したことから、ご一緒することが叶いませんでした。また、主軸の遊戯施設事業が、コロナ禍の影響を大きく受けて勢いをそがれてしまいました。


終わりに


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


私たちは、こうした先人たちの情熱と苦労があって、いまに至ります。

もちろん、コロナ禍を経て、市場が大きく変わり、私たちを取り巻く環境も大きく変わりました。


私たちが初めてガンプラのアニメ「ビルドファイターズ」の放送と配信をしてから10年が経ちました。今日、ガンプラのお客様の中心は、Z世代です。ほとんどのファンの子たちが私に言うのは、みんな当時、ビルドシリーズを見て、ガンプラファンになったと。


ポケモンも同様に、2014年当時にアニメを見て好きになった子たちが、Pokemon GOやカードゲームといった趣味を持ち続けてくれて、いまがあります。


かつて、期待だけが大きく膨らんで多くの会社が四苦八苦した時代から、市場の需要が強くそれに応えるのに四苦八苦する状況が生まれています。


いま2026年。この前後5年の10年間で何が起きたか、起きるのか、続きを書くのはもう少し先になりそうです。でもきっと5年後はいまとは全く違う景色になっていると思います。


私たちの物語はまだまだ続きます。


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参考情報:


Parksonの栄枯盛衰


ベトナムの日本人:安田庄一さん



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